news 映画

監督対談|三宅伸行×外山文治『スクリーンからあふれ出る人柄』

先日(21日)SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にて、二人の監督によるトークショーが行われました。
両監督から語られた俳優・宝田明とのエピソードは会場を沸かせてくれました。

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭『世の中にたえて桜のなかりせば』上映後トークイベント

今の心境は?」


外山「10年前、私のデビュー作品『燦燦(さんさん)』で宝田さんとはご一緒させていただきました
・・・10年前、吉行和子さんが主演の婚活の作品だったんですが、
そのときで吉行さんが77歳、宝田さんは79歳
それから10年後ですよね・・・10年・・・全然変わらないですね(笑)
こんな俳優さんはいないんじゃないですかね
宝田さんはずっとダンディだった。衰えることもなく遺作になったわけですけど
最期まで駆け抜けたんだなぁ。最期の作品はプロデューサーもしていたとのことですが、
とても心に残る優しい作品を選ばれていて、宝田さんの人となりが現れていますよね」

三宅「10年前に、SKIPシティで短編映画でノミネートされて、外山さんの映画をその会場で見て、今思い直すと、婚活と終活って
"最期の生き方を模索する" 似たテーマだったんですね」

外山「そうですね。私も10年前ちょうどここで、宝田さんや吉行さんの撮影中の姿勢的なことを話していました。
宝田さんの佇まい、演じられる独特の表現方法、心地良く感じる。自分の時もそうでしたけど、
リアクションだったり、今の若い俳優さん達と違う味、それでもスクリーンに映った時にナチュラルに心地よく見ていられる。
技術や精神性とかもあるんだけど、気さくな方なんですよね。臆することも無く、話しながら現場をやっていました」

三宅「一俳優としての宝田さんとだけではなくて、プロデューサーとして企画からぶつかってこれました。
互いに思いが乖離した時もあったりと、撮影に入るまでが一番印象にありました。
宝田さんのこだわっていた桜と歌なんですが、そこに終活を加えた時には、あまり宝田さんはピンとこなかったようで、
でも彼の著書にあった彼の人生をこの作品に反映させたい と云った時に、とても良い感じを得られました。
おしつけがましい感じじゃなくて、女子高生の悩みと同じように戦争の実体験を作品に取り込められないかとなった時に
とても納得してくれたんです」

外山「満州の話はよくテレビ等の取材で語っているのを見ていました。語ってもらわないと分からないことって沢山あるじゃないですか
我々後輩の映画監督、映画人のこともよく面倒見てくれていた。毎年、達筆な年賀状が来るんですよね。律義な方で、ずっと心配してくれる。
新人監督してはまっすぐぶつかることしかできなかったが、それを楽しんでくれた。アイデアを出し合っていたーというのが現場でした。

「宝田明はとにかく大スターでした」

三宅「一緒に脚本をやっていたんですが、けっこうなやりたがりでしたね(笑)
サービス精神がとにかくすごくて、けっこう止めるというか(笑)
でも、こちらの言うことも全部素直に聞いてくれて、
私も率直に自分のやりたいことを話すことができました」

外山「やっぱスターですから、サービスマンですよね!(笑)」

三宅「そうですね、エンターティナーですよね(笑)」

外山「一度、パスタ屋さんに二人で入ったことがあったのですが、
その時、お店の人達全員に"あんた何を食べているの?"って聞いて回るんですよ(笑)
スターだ。って。亡くなったことを知った日、夜に吉行和子さんと献杯をしたんですね。
でも、サービス精神あふれるエピソードしかなくて、どうしても笑ってしまうんですよね。
みなに温かい記憶しかないんですよね。今回の作品にもそういうのが出てましたよね」

託されたバトン

外山「多分、我々は映画界ですが、ミュージカル界でも、宝田さんのことを引き継いでいるんだと思います。
自分なんかはものを創るってこういうことなんだなって教わりましたし、
とにかく台本をよく読むんです。ワンカットワンカット、デビューしたての役者みたいに、
確認して話し合いしてチェックしていくんですよね。
そうやって仕事の仕方を教えてもらいました」

三宅「映画を作り切る人なんだなって思いました。映画に対する思いが強いってのがいつもいつでも感じさせられました。
完成披露の際は、社会性がある映画を作りたいんだって話し込んでいました。
映画をつくるってすごい大変なことなのですが、
宝田さんみたいに、ひょうひょうと努力している人を見ると私も頑張らないといけないってよく思わされました。

外山「そうですね。伊丹さんや、名だたる監督たちとやってきた宝田さんと、こうやって一緒にやる機会をもらえた、これはバトンだと思いました」

もしも宝田さんに次の企画があったら

三宅「今、もしも映画の企画を持たせるとしたらば、宝田さんには、宝田さんらしからぬ映画をやりたかったですね。
この企画の際には、浮浪者役の宝田さんが出てくるプロットなんかもあったんです。一緒に開拓をしていきたかったです」

外山「"あの人って宝田さんだったんだ!"って役の作品も楽しそうだよね。

素の部分やスター性をお借りしながら、まだ見ぬ部分を探し求めていきたかった、これは映画監督のエゴですね」

三宅「でも、いつまでも見ていたいと思わせてくれる、彼は凄いですね」

外山「何百本と出てる(映画に)わけですよね、新しく興味を持った人にも掘り下げるには半世紀かかる資料があるわけですからね」

三宅「彼に似た俳優ってなかなかいないんですよね」

外山「21世紀の石原裕次郎 とか、そういう似た人いないね」

三宅「海外の友人たちから、宝田さんの訃報に対して沢山の連絡が来てましたよ。
海外の方達からしたら、とにかく損失が大きいって。ワールドワイドに活動していた人なんだなって思わされました。
そういう方の最期の作品に関係出来たということは、もう、気が引き締まりますね」

-news, 映画

© 2022 with Akira Takarada