「僕はね、五年生まで満洲にいたんです。満洲には桜がなかったからね、
映画でしか観られなかった桜にあこがれていたんです」。
宝田はよく、こんな話をしていました。そして、
「七つボタン、桜に碇。軍国少年だったからね、
予科練を目をキラキラしながら見ていたんです」。
日本陸軍の花でもある桜に更に強い思いを抱いていました。
桜に日本人の心を見た宝田には、特別の花としてずっと存在していました。
「この映画を作るきっかけはたくさんあったから、あり過ぎてどれが一番なんて言えない」。
目の前にあるチャンスに がむしゃらに生きてきた宝田には、
映画を作る意図とかいう難しい言葉は存在しなかったかもしれない。
「きなくさい時代だからこそ、きなくさくないものを出せてよかった」。
宝田にとって桜は、軍国のイメージだけではなく、平和のシンボルでもあった。
ー下を向いて咲く桜は、人々の顔と気持ちを上に向けてくれるー
平和を祈ってやまなかった宝田にとって、桜の映画は宝田の心からの願いだった。
在原業平の句
「世の中にたえて桜のなかりせば、春の心ものどけからまし」
桜がなかったら春は穏やか 桜があるからこそ ざわざわして生きていることを実感できる。
そういうリアリティがあるからこそ、平和のシンボルに説得力が出る。
「この句を使うことで、今の時代にマッチしたよね」
宝田はこの作品で舞台と映画の同時公開をしたかったが
コロナ禍で舞台版は一年遅れてしまう。
だが、宝田には落胆の欠片もなかった。
若い頃からがむしゃらにやってきた宝田、
こんな人を見ていたら、負けるもんかと誰もが思ってしまう。
この 映画は、宝田の深く長い思いが詰まった作品である。